へセド
マタイ9:13 わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。(新共同訳)
これは、ホセア書6:6の「わたしが喜ぶのは、愛であって、いけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす捧げ物ではない」と言う、神の言葉を、イエスが、引用されている(注1)。
ホセア書6:6の愛(誠実)と訳された言葉は、ヘブライ語訳の聖書では、へセド(Checed:ds,x)と言う言葉が、用いられている。
マタイ9:13の「憐れみ」と訳された言葉も、新約聖書のヘブライ語訳の聖書では、へセド(Checed)と言う言葉が、用いられている。
なお、マタイ9:13の英訳は、「I desire mercy and not sacrifice」で、「憐れみ」は、「mercy」と言う言葉で、訳されている。
英語のmercyは、慈悲、哀れみ、情けと言う意味。
また、マタイ9:13のギリシャ語訳では、「憐れみ」は、「エレオス:ελεον(ελεοs)」と言う言葉が、用いられている。
へセド(Checed)は、英語のgoodness, kindness, faithfulness(誠実)を意味する言葉。
へセド(Checed)は、KIJでは、favour(好意)、good、goodliness、goodness、kindly、kindness、lovingkindness、merciful、mercy、pity、reproach、wicked thing、とも訳されている。
へセド(Checed)は、NAS(NASB)では、deeds of devotion、devotion(情愛、傾倒、信仰)、devout、disgrace、faithfulness(誠実)、favor(好意)、good、kindly、kindness、kindnesses、loveliness、lovingkindness、lovingkindnesses、loyal deeds、loyalty(誠実、忠節、忠誠)、mercies、merciful、mercy、righteousness、unchanging love、とも訳されている。
へセド(Checed)は、ラテン語では、misercordia。
ヘブライ語訳の旧約聖書のへセド(Checed)は、日本語訳では、「慈しみ」(新共同訳)とか、「恵み」(新改訳)と訳されています(詩篇85:11等)が、英訳聖書では、「mercy」とか、「love」と訳されています。また、ヘブライ語訳の新約聖書のへセド(Checed、注2)は、英訳聖書では、「grace」と訳されています。なお、ヘブライ語訳の旧約聖書のへセド(Checed)は、ラテン語訳聖書では、「misericordia」(憐憫、哀れみ深い心、慈悲心)等と訳され(詩篇85:11等)、ヘブライ語訳の新約聖書のへセド(Checed)は、「gratia」(親切、好意、愛、感謝)と訳されています(ヨハネ1:17等)。
表1 へセド(Checed)の訳の比較 聖書の節 日本語訳 英語訳 ラテン語訳 新改訳 新共同訳 NKIV TEV LEV 旧約聖書 詩篇85:11 恵み 慈しみ mercy love misericordia ホセア4:1 誠実 慈しみ mercy love benignitas ホセア6:4 誠実 愛 faithfulness love caritas ホセア6:6 誠実 愛 mercy love caritatem 新約聖書 マタイ9:13 あわれみ 憐れみ mercy kindness misericordiam ヨハネ1:17 恵み 恵み grace grace gratia ローマ6:14 恵み 恵み grace grace gratia へセドは、(契約に基づいた、)相手に対する、誠実な慈愛(まごころの籠った憐れみ)を意味する。
へセドは、相手(神と人間)に、誠実にまごころを籠めて、最善を尽くし、一番良いことをし、節操を保って、裏切らないことを意味する。
へセドは、誠実で不変な神の愛(契約に忠実な揺るがない神の慈愛)を意味すると言わる。
ホセア6:4にも、「あなたがたの誠実は朝もやのようだ」と、誠実と訳されているが、この「誠実」は、原語では、へセド(注3)。
誠実(へセド)は、「契約に対する忠誠心」と、チェーン式聖書では、注釈されている。へセド(誠実)は、契約に関しては、節操を保って、裏切らないことを意味する。
従って、マタイ9:13は、新共同訳聖書では、イエスが、「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」(新改訳聖書では、「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」)と語られたと訳されているが、旧約聖書のホセア6:4まで辿ると、イエスは、「神は、誠実(契約に対する忠誠心=ヘセド)を人間に対して望んでいる」と語りたかったように思われる。
へセドは、どういう関係に於いて用いるかにより、意味(ニュアンス)が異なる。
へセドは、神→人間という関係では「(神の)慈愛」、人間→神という関係では「敬愛」、人間→人間と言う関係では「友愛」を意味する。
へセド(Checed)は、相手に対する、誠実な慈愛(誠愛:相手を、誠実に、大切に、まごころを籠めて、敬愛する)を意味すると、思われる。
従って、マタイ9:13は、「わたし(神)は憐れみを好む」と言うより、「わたし(神)は敬愛されることを欲する」と言う意味のように、思われる。
ヘセド(Checed)は、新約聖書(新改訳)では、「恵み」と、訳されている。
ローマの信徒への手紙5:21 こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
ローマの信徒への手紙6:14 あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にいるのです。
注1:新改訳聖書では、マタイ9:13と、ホセア書6:6は、以下のように訳されている。
マタイ9:13 わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。
ホセア書6:6 わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいえにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。
なお、『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』と言う引用は、マタイ9:13以外に、マタイ12:7にも、用いられている。
マタイ12:7 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。
注2:新約聖書は、ギリシャ語訳の聖書から、ラテン語訳の聖書に翻訳され、更に、英語などに訳されたようであるが、ギリシャ語訳の新約聖書を、ヘブライ語に訳した聖書(Hebrew New Testament)が、私の通っている教会(萬国福音教団)の牧師さんは、所有していらっしゃる。
書名:Hebrew New Testament出版元:THE BIBLE SOCIETY IN ISRAEL版権許諾:United Bible Societes 1976年印刷:Korea 1997年
注3:ホセア書には、へセド(Checed)と言う言葉が、ホセア6:6以外に、ホセア4:1、ホセア6:4にも、用いられている。
しかし、同じ、へセド(Checed)と言う言葉が、英語訳、日本語訳共に、各節で、異なった言葉に訳されている。
以下に、比較対照して見た。
表2 へセド(Checed)の訳の比較 ホセア書の節 日本語訳 英語訳 新改訳 新共同訳 NASB NIV KIJ ホセア4:1 誠実 慈しみ kindness love mercy ホセア6:4 誠実 愛 loyalty love goodness ホセア6:6 誠実 愛 loyalty mercy mercy Hosea 4:1
新改訳:イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。
新共同訳:主の言葉を聞け、イスラエルの人々よ。主はこの国の住民を告発される。この国には、誠実さ(faithfulness)も慈しみ(mercy)も、神を知ることもないからだ。
NASB:Listen to the word of the LORD, O sons of Israel, For the LORD has a case against the inhabitants of the land, Because there is no faithfulness or kindness. Or knowledge of God in the land.
NIV:Hear the word of the LORD, you Israelites, because the LORD has a charge to bring against you who live in the land: "There is no faithfulness, no love, no acknowledgment of God in the land.
KIJ:Hear the word of the LORD, ye children of Israel: for the LORD hath a controversy with the inhabitants of the land, because there is no truth, nor mercy, nor knowledge of God in the land.
(ホセア4:1の「…この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ」の、「真実」は、「tm,a/」と言う言葉で、「信頼出来ること」、「信頼性」と言う意味もあり、英訳聖書では、「truth」とか、「faithfulness」と訳されている。)
Hosea 6:4
新改訳:エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あんたがたの誠実(love)は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。
新共同訳:エフライムよ、わたしはお前をどうしたらよいのか。ユダよ、お前をどうしたら良いののか。お前たちの愛(goodness)は朝の霧、すぐに消えうせる露のようだ。
NASB:What shall I do with you, O Ephraim? What shall I do with you, O Judah? For your loyalty is like a morning cloud And like the dew which goes away early.
NIV:What can I do with you, Ephraim? What can I do with you, Judah? Your love is like the morning mist, like the early dew that disappears.
KIJ:O Ephraim, what shall I do unto thee? O Judah, what shall I do unto thee? for your goodness is as a morning cloud, and as the early dew it goeth away.
Hosea 6:6 For I desired mercy, and not sacrifice; and the knowledge of God more than burnt offerings.
新改訳:わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいえにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。
新共同訳:わたしが喜ぶのは、愛(mercy)であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない。
NASB:For I delight in loyalty rather than sacrifice, And in the knowledge of God rather than burnt offerings.
NIV:For I desire mercy, not sacrifice, and acknowledgment of God rather than burnt offerings.
KIJ:For I desired mercy, and not sacrifice; and the knowledge of God more than burnt offerings.
参考文献
・日本聖書協会の新共同訳聖書
・日本聖書刊行会の新改訳聖書
・聖書 新改訳 注解・索引・チェーン式引照付 (いのちのことば社、2005年10月)
・フランシスコ会聖書研究所(サンパウロ発行所)の新約聖書
・THE ANCHOR ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY
・SANSEID'S COLLEGE CROWN ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY
・総説・図説旧約聖書大全(講談社)・総説・図説旧約聖書大全(講談社)
・広辞苑(岩波書店)
・J-ばいぶる 1st 2000 CD-ROM、日本コンピューター聖書研究会(いのちのことば社).
・J-ばいぶる 2nd for Win Ver.2.0 CD-ROM、日本コンピューター聖書研究会(いのちのことば社).
・J-ばいぶる 3rd for Win CD-ROM、日本コンピューター聖書研究会(いのちのことば社).
・Hebrew New Testament(出版元:THE BIBLE SOCIETY IN ISRAEL、版権許諾:United Bible Societes 1976年、印刷:Korea 1997年)
・The Old Testament Hebrew Lexicon (http://studylight.org/lex/heb/)
・BibleGateway com (http://ebible.echurch-jp.com/)