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 聖書の言葉1

 1.faithfulness信頼性(真実、誠実
 
ローマの信徒への手紙(Romans 3:3)では、神の誠実さ(真実、信頼性)に関して、言及している。
 新共同訳:神の誠実(が無にされる)
 新改訳:神の真実(が無に帰する)
 フランシスコ会訳:神の
誠実(を無にする)
 英訳(NASB):God's
faithfulness
 faithfulness
誠実信頼性忠実→ギリシャ語:pistis、ラテン語:evacuabit
 faithful:1.
誠実な、忠実な(sincere)、真実な(honest)、2.信頼できる(reliable)
 faith:信仰、
信頼、誠意、誠実、信用、信念、約束、忠誠(「信頼して誠を尽くす」ことが本義、注1)⇔trust:信頼、信用、信託
 in faith:信頼して(信用して)
 「神は誠実(God is faithful)」と言うのは、神は、義(ツェデク)であられ、御自分のなされた約束に誠実(真実:faithful)であられるので、信頼出来る(信頼性がある)と言う意味だと思われます。

 聖書には、「恵みとまこと」と言う表現がありますが、「恵み」と訳された言葉は、ヘブライ語では、「ヘセドds,x)」と言う言葉で、 「まこと」と訳された言葉は、ヘブライ語では、「tm,a/」(エメス)と言う言葉です。
  「まこと」と訳された「tm,a/」(エメス)と言う言葉は、信頼出来ること、信頼性、真理、真実などと言う意味があるそうです。英訳聖書では、旧約聖書の「まこと」は、「faithfulness」と訳されています。
 旧約聖書のホセア4:1の「…この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ」の、「真実」も、tm,a/」と言う言葉で、英訳聖書では、「truth」とか、「faithfulness」と訳されています。なお、「誠実」は、「ヘセドds,x)」と言う言葉で、英訳聖書では、「mercy」とか、「love」と訳されています。
 ヘブライ語の「真実(まこと)」を意味する「
tm,a/」(エメス)と言う言葉は、ヘブライ語の「確かに(そのとおり)」を意味する「!mea'
'」(アーメン)と言う言葉と、同じ語源だそうです。

 神は誠実な方でおられ、その方に人間が信仰することも誠実と約されているようです。
 誠実=信仰

 2.righteousness:(Ts@daqah:ツェダカー)

 ローマの信徒への手紙(Romans 4:3)では、神の人に対する義認に関して、言及している。
 ローマ4:3と、創世記15:6を比較して見る。
 新改訳:それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。←彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
 新共同訳:アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた。←アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
 フランシスコ会訳:アブラハムは神を信じた。そのことは、彼が正しい者とされるにふさわしいとみなされた。
 英訳(NIV):Abraham believed God, and it was credited to him as
righteousness.
 フランシスコ会訳からは、「アブラハムは、神を信じた。その信仰により、アブラハムは、義(正しい者)とみなされた」と、解釈される。
 なお、創世記15:6は、ヘブライ語原典を直訳すると、「そして彼は信じた(信頼した)、主に、そしてそれを認めた(思った、考えた)、彼にとって、義(ツェダカー)だと」と言う意味になると言う。子供のいなかったアブラハムに、神が、多くの子孫が生まれることを約束し、その主の言葉を、アブラハムが「信頼した(信仰した)」。そのアブラハムの信頼(信仰)を、主が、彼の(アブラハムにとっての)「義」(ツェダカー)だと、認めたと言う意味と、解釈される。
 従って、創世記15:6は、「アブラハムは神(の言葉)を
信用した(信仰した)。その信仰により、彼(アブラハム)は、(神から)「義」(ツェダカー)だと、みなされた」と言う意味だと、解釈される。
 believe:…を信じる、
信用する(信仰する)
 believe in:1.…を信仰する、2.…の存在を信じる、3.
…を信頼する(…人格を信じる)、(人・人柄・能力を<一時的ではなく>)信用する
 beliefe:1.(証拠なく真実と)信じること、確信、2.
信用信頼、3.信仰注2)、信心、
 righteousness:公正、正義→ラテン語(Romans 4:3):iustitiam、ヘブライ語Genesis(15:6):Ts@daqah(ツェダカー:義)
 Ts@daqah(
ツェダカー):justice, righteousness (in government)、righteousness (of God's attribute)
 Tsedeqツェデク、ツェディーク):justice, rightness, righteousness、righteousness (in government)、what is right or just or normal, rightness, justness (of weights and measures)


 マタイ6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
 義(ツェデク)とは、神と人間との関係や、人間と人間との関係における誠実さを表す。
 神は、義(ツェデク)であられるので、御自分のなされた約束に誠実faithfulness)であられる。
人間との関係を大事にする神は、義(ツェデク)であられるので、人間に対して、御自分のなされた約束を誠実に履行され、また、人間を公平に裁いたり、人間に恵みへセドや憐れみを賜る。
 「神の義を求めなさい」とは、神が、人間に対して、誠実、公平に接して、恵みや、憐れみを下さることを、願いなさいと言う意味のように、思われる
 しかし、フランシスコ会聖書研究所(サンパウロ発行所)の新約聖書では、マタイ6:33は、「まず、神の国とそのみ旨を行う生活を求めなさい」と、訳されている。
 ちなみに、マタイ6:33の「義」は、ギリシャ語では、ディカイオスネー(δικαιοσυνην)と言う言葉が用いられている。
 ディカイオスネー(δικαιοσυνην)は、「神の要求に適合する」と言う意味とのこと。
 神の要求とは、何であるかに関して、ミカ6:8に、「主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実(へセド)を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか」と、書かれてある。

 3.counsel:計りごと
 ヨブ38:2によると、ヨブが体験した不幸は、神の計りごと(摂理、経綸)だったとされる。
 新改訳:知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
 新共同訳:これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。
 口語訳:無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。
 英訳(NIV):Who is this that darkens my counsel with words without knowledge?
 ヨブ38:2の新改訳で、摂理と訳された部分は、新共同訳では、経綸と訳されている。英訳では、counsel(相談、勧告、目的、意図、決議計画)と言う言葉が、使用されている。ドイツ語訳では、Ratschlus決議、議決)と言う言葉が使用されている。Gottes Ratschlusは、神の思召し(おぼしめし)、御心(みこころ)。なお、ヘブライ語の原典では、このcounselに相当する単語は、`etsahと言う言葉で、英語では、counsel、advice、purposeと言う意味があり、 「教示」と言う意味もあると言う。
 摂理は、英語では、Providenceと言う言葉で、神意とも訳される。神の摂理は、divine Providence、the Porvidence of God。
 経綸は、英語では、statesmanship
 摂理:キリスト教その他の宗教で、神が人の利益を慮って(おもんばかって)、世の中の事全てを、導き治めること。自然界を支配している理法。
 経綸:国家を治めととのえること。

 4.mercy:慈悲
 マタイ9:13 わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。
 これは、ホセア書6:6の「わたしが喜ぶのは、愛であって、いけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす捧げ物ではない」と言う、神の言葉を、イエスが、引用されている。
 マタイ9:13の英訳は、「I desire mercy and not sacrifice」。
 英語のmercyは、慈悲、哀れみ、情けと言う意味。
 ヘブライ語の原典では、mercyの部分には、へセド(Checed)と言う言葉が、使用されている。
 へセド(Checed)は、英語のgoodness, kindness, faithfulness(誠実)を意味する言葉。へセド(Checed)は、favour(好意), good, goodliness, goodness, kindly, kindness, lovingkindness, merciful, mercy, pity, reproach, wicked thingとも訳されている。
 へセドは、誠実で不変な神の愛(契約に忠実な揺るがない神の慈愛)を意味すると言わる。
 ホセア6:4にも、「あなたがたの誠実は朝もやのようだ」と、誠実と訳されているが、この「誠実」は、原語では、へセド。
 誠実(へセド)は、「契約に対する忠誠心」と、チェーン式聖書では、注釈されている。

Ho 4:1 Hear the word of the LORD, ye children of Israel: for the LORD hath a controversy with the inhabitants of the land, because there is no truth, nor mercy, nor knowledge of God in the land.

Ho 6:4 O Ephraim, what shallI do unto thee?O Judah, what shallI do unto thee? for your goodness is as a morning cloud, and as the early dew it goeth away.

Ho 6:6 For I desired mercy, and not sacrifice; and the knowledge of God more than burnt offerings.

 注1:イエスは、正義(justice)、慈悲(mercy:あわれみ)、誠実(faith)が、律法の中で、重要だと説いた。
 マタイ 23:23 律法の中ではるかに重要なもの、正義(justice)とあわれみ(mercy)と誠実(faith)を、おろそかにしているのです。
 このマタイ 23:23の誠実(faith)は、(神に対する)信頼、誠意、忠実と言う意味だと思われる。

 注2:信仰とは、広辞苑によれば、「信じたっとぶこと。宗教活動の意識的側面をいい、神聖なもの(絶対者・神をも含む)に対する畏怖からよりも、親和の情から生ずると考えられ、儀礼と相俟って宗教の体系を構成し、集団性および共通性を有する。
 「生命の光」(2005年11月、No.638)に、「神秘と回心」と言う題で、寺島郁郎氏の信仰講話が掲載されている。その中にも書かれているが、伝統的な宗教(団体)や、旧約聖書の神は、「神を信じなければ、神罰があるぞ」と言って脅して人の心を恐怖(畏怖)せしめて、寺院や教会堂に参拝を強いて来た傾向があるように、思われる。
 本来、信仰(Faith)とは、神を信頼(Belief)することではないかと、私は、最近、思っている。

 参考文献
 ・日本聖書協会の新共同訳聖書
 ・日本聖書刊行会の新改訳聖書
 ・聖書 新改訳 注解・索引・チェーン式引照付 (いのちのことば社、2005年10月)
 ・フランシスコ会聖書研究所(サンパウロ発行所)の新約聖書
 ・THE ANCHOR ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY
 ・SANSEID'S COLLEGE CROWN ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY
 ・総説・図説旧約聖書大全(講談社)・総説・図説旧約聖書大全(講談社)
 ・広辞苑(岩波書店)
 ・寺島郁郎:神秘と回心 生命の光 2005年11月、No.638、2-7頁.
 ・J-ばいぶる 1st 2000 CD-ROM、日本コンピューター聖書研究会(いのちのことば社).
 ・J-ばいぶる 2nd for Win Ver.2.0 CD-ROM、日本コンピューター聖書研究会(いのちのことば社).
 ・J-ばいぶる 3rd for Win CD-ROM、日本コンピューター聖書研究会(いのちのことば社).

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