Oisix(おいしっくす) 富士通パソコンFMVの直販サイト富士通 WEB MART

 ラテン語訳聖書と新改訳聖書の比較

 日本で良く使用されている、新改訳聖書(日本聖書刊行会)を、ラテン語訳聖書と比較して見ました。

 1.御霊のからだ?
 Iコリント 15:44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらせられるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
 このIコリント 15:44の言葉で、「御霊のからだ」と訳された箇所は、ラテン語訳の聖書では、「corpus spiritale」なので、「霊のからだ」と訳すのが、良いように思われます。なお、この箇所は、新共同訳聖書では、「霊の体」、英訳の聖書では、「a spiritual body」と訳されています。

 キリストの復活が、「肉体の復活」だったのか、「霊の体(御霊のからだ)の復活」だったのか、議論がありますが、使徒行伝第9章に記録されているように、パウロが、ダマスコへの途上、出会ったイエスは、肉体を持ったイエスではなかったようです。
 パウロが、Iコリント 15:44で語っているように、キリストの復活は、「霊の体の復活」だったように、私には、思われます。

 なお、Iコリント 15:46は、「最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです」と、「御霊」と訳されています。
 しかし、この「御霊のもの」と訳された箇も、ラテン語訳の聖書では、「quod spiritale」なので、「霊のもの」と言う意味だと思われます。英訳の聖書でも、「spiritual」と、小文字の「s」で、訳されています。

 2.最後のアダム?
 Iコリント 15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
 このIコリント 15:45の言葉で、「最後のアダム」と訳された箇所は、英訳の聖書では、「The last Adam」と訳されています。
 ラテン語訳聖書では、「最後のアダム」と訳された箇所は、「novissimus Adam」と書かれています。「novissimus」の意味は、古典ラテン語辞典によりますと、1.最近の、最新の、2.最終の、最後の、終局の、最期の、3、最後部(列)の、一番あとの、4、先端の、極端の、5.最低の、最高の、と言う意味です。
 黙示録 22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最期である。初めであり、終わりである。
 この黙示録 22:13の「最期である」と言う言葉も、ラテン語訳聖書では、「novissimus」と言う言葉が用いられています。なお、黙示録 22:13の「終わり」と言う言葉は、ラテン語訳聖書では、「finis」と言う言葉が用いられています。「finis」の意味は、1.境界(線)、2.領土・所有地の境界、3.限界、限度、制限、4.的、目標、5.終点、終わり、結論、終止、6.末端、先端、7.最期、死、8.完成、達成、頂点、と言う意味です。

 3.信じて
 ヤコブの手紙 1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。
 このヤコブの手紙 1:6で、「信じて」と訳された箇所は、英訳の聖書では、「in faith」なので、「信頼して(信用して)」と言う意味だと思われます。
 ラテン語訳聖書では、「in fide」と訳されています。「fide」は、「誠実に」、「忠実に」と言う意味です。

 参考文献
 ・國原吉之助:古典ラテン語辞典(大学書林、2005年).
 ・日本聖書協会の新共同訳聖書.
 ・日本聖書刊行会の新改訳聖書.
 ・フランシスコ会聖書研究所(サンパウロ発行所)の新約聖書.
 ・Nova Vulgata - Bibliorum Sacrorum Editio, Libreria Editrice Vacicana(2005年7月にバチカンで購入したラテン語訳のヴルガタ訳聖書). 

 |トップページ心霊聖書ヘブライ語ギリシャ語ラテン語リンク推奨図書ThinkPadの部屋

inserted by FC2 system